90秒エッセンスと考え方のヒント
最終更新日 2025年8月1日(<思考と発話運動、音の知覚との関係を示した概念図>:タイムラグの秒数を書いていた行を削除)
口から出る言葉、言葉を話す体の動き(発話運動)は、「言葉になる思考」の展開に条件づけられています。言葉の正体は、この「展開する思考」です。
その思考(声に出して「考える活動」)の邪魔をし、吃音を生んでいるのが、口にしようとする音(=口から出るはずの音=耳から聞こえてくるはずの音)に向かう注意(の癖)です。
言葉になる思考:頭の中で「腹が減った」と展開すれば、その展開と歩調を合わせ瞬間をほぼ同じくして、その展開する「思考」に重なり合うように、「腹が減った」と口から言葉が出てくる思考。そのもの自体には自意識がなく、意識による干渉を嫌う、(1000分の1秒刻みの目盛上のどこかで)そのもの自身のタイミングで自然に始まり※、自然に展開していく、思考活動が生む思考。
※発話を意識する自分の側には、発話の厳密なタイミングを決める決定権はなく、発話のタイミングは、自然に始まる思考活動が握る。
口にしようとする音(口から出るはずの音)に注意を向けて言葉を話そうとすると、
a.考える主体が、(そのもの自身の思考活動の産物である)思考が意識に浮かび上がる瞬間を観ようと、(新しく生まれる)思考が意識に浮かび上がる瞬間に注目すると、考えることができなくなります。口から出てくる言葉は(展開する)「(言葉になる)思考」なので、自分という考える主体が、「思考」が意識に浮かび上がる瞬間(場面)に注目*1すると、「(声に出して)考える」ことができなくなります。
I.発話運動(言葉を話す体の動き)が「言葉になる思考」の展開に条件づけられているため、話そうとして口にしようとする音(口から出るはずの音)に注意が向かい、発話(音の生成過程)に聴覚(音に対する注意)を巻き込んだ状態で言葉を話そうとすると(=[声に出して]考えようとすると=「言葉になる思考」が展開しようとすると)、「(声に出して)考える」ことができなくなり、発話運動は、言葉を話そうとする態勢(本人の話そうとする意志)を保ったまま、発話方向で一時停止します。*2
II.展開する「言葉になる思考」と(それに対応する)口から出る音の知覚との間には(微かな)タイムラグ(時間のずれ)が存在するため、この状態のまま強引に音(言葉)を口(耳*3)にしようとすると、途切れがない「発話運動の障害」(ひどい難発)が発生します。気力が途切れるなど、何かの弾みで口にしようとしている音から注意が外れるまで続きます。
III.普通に話せるのは、口にしようとしている音から注意が外れて、「(言葉になる)思考活動」が自由になってからです。
話そうとして、あるいは、話していて、言葉が詰まったり、引っかかったりする箇所では、口にしようとしている音(=口から出るはずの音=耳から聞こえてくるはずの音)に注意が向いています。発話の状態は、その瞬間の、「(言葉になる)思考」の状態を示しています。
発話:言語を音声として発すること。またその結果として発せられた音声のこと。(Wikipediaより)
*1 どちらも思考活動の産物である、外に現れるはずの口から出る音(声)の誕生の瞬間に(聴覚を通じて)注目しても(間接的注目)、意識に浮かび上がるはずの音(思考)の誕生の瞬間に注目しても(直接的注目)、「(声に出して)考える」ことができなくなるという意味では、結果は同じです。
*2 たとえば、「こんにちは」と言おうとして、「こんにちは」の「こ」の音の言い始めの口や舌などの構えまでは普通(順調)に進み、今にも口から声が出るという瞬間に、突然、発話動作が自分の意思に反して急停止してしまうような、話す体勢に入って、まさに声が出る寸前で、発話動作に急ブレーキがかかる形です。
口にしようとしている音(口から出るはずの音)に注意が向いているため、話そうとしていても、話す(「(声に出して)考える」)ことができません。そのとき、発話運動は、(音に対する注意の介入により急停止して動けずにいる)「言葉になる思考」の展開待ち(一時停止)の状態です。口にしようとしている音(口から出るはずの音)から注意が外れないと、「言葉になる思考」もその展開に条件づけられている発話運動も再開しません。
なお、発話運動は、「言葉になる思考」の展開に条件づけられているので、「言葉になる思考」が動こうとすれば、動こうとしますが、口にしようとしている音(口から出るはずの音)に注意が向いているため、発話を実現する形では(どちらも)動けません。そのとき、発話方向にかかる力は、(通常であれば吸収される、後続するはずの)発話運動に吸収されず表面化します。
発話運動が条件づけられている「言葉になる思考」が詰まっているので、後続するはずの発話運動は生じません。発話運動が発話方向で一時停止しているため、そこにかかる力は跳ね返されます。
*3 話そうとして口にしようとしている音(口から出るはずの音)に注意が向いているということは、そのとき、言葉を話すための思考活動がふさがれていると同時に、耳から聞こえてくる実際の自分の声で考えざるを得ない状態にも陥っています。この状態のまま話そうとすることは、思考活動を拘束し発話に障害をもたらしている「音に対する注意」の悪循環につながります。その結果、一時的に、口(耳)にする音で考えよう(話そう)、音を口(耳)にすることによって話そう、とする話し方になる方もおられるかもしれません。そのような話し方に陥ると、難発状態はさらに強固に継続します。ちなみに、普段耳にしているのは、口から出た発話済み(生成済み)の音です。
口にしようとする音(口から出るはずの音)に注意を向けたままでも言葉は問題なく話せるよ、という人は、発話の瞬間に、口にしようとする音への注目から思考活動に注意が転換しています。口にしようとする音に対する注意の空白が一瞬できて発話(思考活動)が始まり、そこから先は、(その思考活動が生む)口から出た音を聞いています。
(90秒エッセンスはここまで)
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2025年4月19日
<障害物:意識的な発話のコントロールと負の遺産「注意の癖」>
言葉は、展開する「言葉になる思考」なので、スムーズに話すことができないということは、スムーズに考えることができないということです。思考が思考のタイミングで自然に展開を始めるのを阻む何かが、また、思考の自然な展開を阻む何かが、その瞬間そこに、存在しているということです。
2025年4月15日・7月2日
<吃音悪化の逆コース:ここはシンプルに考える>
>【結論】成人の吃音の本質的な機序として、吃らないようにと語頭音に注意を向けて発音しようとすることによって後続音との調音結合が破綻し、吃音症状が起きる、というモデルを提案した。注意を最初の音から外すことで自然な発話を誘導することができ、それが体験的に理解できると、吃音を意識しない、自然で楽な話し方への移行が容易になる。
上の文献を素直に読めば、これまで話すとき(どもるとき)に語頭音(最初の音)に向かっていた注意が、語頭音以外のことに向かうようになればいい、ということになります。
「(事前/寸前に)注意が向いた音が詰まる」※と応用的に考えると、言葉の途中などで詰まる場合も、同様に、(思考活動などに注意が向いていて)口にしようとするその音に注意が向かわなくなればいい、ということになります。
話した言葉(口から出た音)が事後的に聞こえてくるのが正常な形なのですが、口にしようとする音に注意を向けて発音(発話)しようとすると、その秩序が失われ、口にしようとする音を聴こうとする形になり言葉が詰まります。
※言葉になる思考がまず詰まり、言葉になる思考(の展開)に条件づけられている発話運動が詰まり、言葉(音)が詰まる、という流れです。
体も言葉も詰まっていますが、そのとき詰まっている大元は、実は、(言葉になる)思考です。この状態では、発話方向に力をかけて体に発話を促しても、体は言うことを聞きません。口から出てくる言葉を生む発話運動(言葉を話す体の動き)が、「言葉になる思考」の展開(思考活動)に条件づけられているからです。そして、そのとき、話そうとして発話方向にかかる力は、発話運動が一時停止しているため、(通常であれば吸収される)発話運動に吸収されません。通常の発話ならなんでもない力も発話運動(展開する言葉になる思考)に吸収されず表面化します。
口にしようとする音から思考活動への注意の転換が起こるまでこの状態が続きます。言葉が詰まったり、引っかかったりした状態から、すっと言葉が楽に出てくるところで(は)、音に対する注意が外れています。
2025年3月13日・8月1日
<思考と発話運動、音の知覚との関係を示した概念図>
time ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>
言葉になる思考の展開 |1|2|3|4|5|6|7|8|9|*|*|
肉体の反応・音の誕生 |*|1|2|3|4|5|6|7|8|9|*|
口から出た音の知覚 |*|*|1|2|3|4|5|6|7|8|9|
*タイムラグ(時間のずれ)
上の図では9で終わっていますが、数字が表しているものは言葉(音)の構成要素です。それがいくつも集まって50音の一つ一つの音を形成しています。50音それぞれの音には時間の長さと、その音の中でも、言い始めから言い終わりにかけて、音の変化がありますよね(ほぼすべての音で、途中、口の形などが変わる)。
図は、思考が展開するから(不可欠)、肉体が反応し(発話運動が生じ)口から言葉が出てきて、それを耳にしている、という発話の秩序を表しています。
口にしようとする音(口から出る音)に注意が向いた状態で言葉を話そうとすると、この秩序が失われ、「知覚できる音=思考」の状態になり、声に出して考えることができなくなるとともに、発話意志に伴って口から出るはずの音が詰まります。
2025年6月14日・17日
<音に対する注意は思考に対する注意>
90秒エッセンスのaと重複しますが、
口から出てくる言葉は、そのとき展開している「言葉になる思考」なので、話そうとして、口から出る音(口にしようとする音)に注意が向いているということは、その出るはずの音を通して、自分の思考に注意が向いている、と考えることができます。
口から出るはずの音を通して、自分の思考に注意が向いていると、吃音症があるない以前に、その間、「(声に出して)考える」ことができません。
口から出る音(口にしようとする音)に注意を向けたままでも言葉は問題なく話せるよ、という人は、発話の瞬間に、口から出る音への注目から思考活動に注意が転換しています。口から出る音に対する注意の空白が一瞬できて発話(思考活動)が始まり、そこから先は、(その思考活動が生む)口から出た音を聞いています。
口から出る音への注意・注目は、発話への干渉であると同時に、その発話を生む思考活動への干渉(阻止)でもあります。
2025年3月8日・6月1日
<ドラえもんと口パクと注意の癖>
大山のぶ代のドラえもんや、しんちゃん、まるちゃんの声と口調で普段よりもスムーズに話せるとしたら、それは、「言葉になる思考」が、口から出る声、耳から聞こえてくる声に先行して展開しているからです。発話の意識的なコントロールによってではなく、自然に展開する思考活動が発話を生んでいるからです。
(上の種明かし)ドラえもんや、しんちゃん、まるちゃんの声の出し方(具体的な発声発語器官の動かし方)は、頭で考えてもわかりません。必然的に、思考で(考えることによって)話すしかありません。ほかにも、ドラえもんや、しんちゃん、まるちゃんの声と口調で話している(=考えている)ときには、口にしようとする音(口から出る音)に向かう注意を含めた意識的な発話(発話プロセス)と、口から出ている言葉(音)への細かい監視に使えるだけの注意資源がもう残っていない(注意資源は、同時に使える量に限りがあり、ドラえもんなどの声と口調で話す[=考える]ことに使われると、[言葉を話すことに関しては]他の大きな活動に使えるだけの残量がもう残っていない)可能性が高いです。発話に邪魔が入りにくいということです。
口パクをすると、「言葉になる思考」が内声化され、その声が頭の中で響きます。本来発話が始まるタイミングは、この「言葉になる思考」(思考活動)が握っています。
口パクをすると、発話における思考活動の大切さが実感しやすいかもしれません。思考が展開を始めないと(思考活動が始まらないと)発話運動が始まらないことがわかります。発話運動が思考活動に連動して生じていることがわかります(発話が単純な動作の問題ではないことがわかります)。また、その思考を直接的にコントロールできないこともわかります。
吃音がある方の中には、口パクだとわかっていても、言葉を話すときの難発と同じように、口から出るはずの音に注意が向かって、言い出しで、思考と口パク(の動作)が詰まることがある方もおいでになるかもしれません。
言葉を話すときに難発を生んでいるものと同じ(話すときの)注意の使い方が、口パクでも生じています。本来思考活動に真っすぐ向かうべき注意(意識)が、真っすぐ思考活動に向かっていないのです。
2025年3月23日
<展開する思考=発話運動>
発話運動(言葉を話す体の動き)の核となる動きは、展開する「言葉になる思考」が握っています。発話をコントロールできるのも、「言葉になる思考」が発話(発話運動)に先行して展開しているからです。たとえば、英語/英単語の発音練習も、「言葉になる思考」が発音(発話)を先導/誘導している限り、発音を(好きなように)ブラッシュアップできます。
苦手な英単語の発音練習をしようとして、自分の発音(口から出る音)に注目した状態のまま(言葉=発話運動を生む)思考活動への注意の転換が起こらず、「言葉になる思考」が発音を先導/誘導しない形で発音しようとすると、音が詰まって、難しい、やっぱり苦手ということになります。
2025年4月4日・18日
<発話と発話のコントロール>
すぐ上の英単語の発音練習の話と同じ内容になりますが、普段「自分が、言葉をコントロールしている」という気にさせているのは、そのとき、「言葉になる思考」(思考活動)が発話運動(言葉を話す体の動き)に先行してしっかりと展開しているからです。「言葉になる思考」が先行して展開していなければ、言葉のコントロールは効きません。発話自体が無理ということになります。
そして、普段話している言葉の少なくない割合が、そのもの自身のタイミングで自然に始まり自然に展開する思考活動(言葉になる思考)が自然な形で導く発話ではなく、(あまりにも習慣化していて自分ではそれと気づけない)コントロールを帯びた発話だとしたら?
その場合、気持ちが前向きで、「言葉になる思考」が自分から(勝手に)良く動き、発話(発話運動)を先導/誘導している言葉では問題がなく(口や舌の形/動き、音の強弱、息などを微調整しながら、英単語に新しい音のイメージとその発音を条件づける、英単語の発音練習と同じ)、言葉を話すことに対して後ろ向きな気持ちになって発話が意識的になったり、音に対する注意の癖が登場して、「言葉になる思考」(思考活動)が停滞し、「言葉になる思考」が発話を先導/誘導する形になっていない言葉で問題が生じているとしたら、言葉を話すときに大切なのは、発話(言葉)のコントロールではなく、(そのときの気持ちの向きと)思考活動ということになります。
2025年3月7日・6月3日
<難発と注意の転換>
発話に聴覚(音に対する注意)を巻き込んだ状態の特徴は、声に出して「考える」(=話す)ことができないことです。
その際、自分では、発話に「音に対する注意」を向けているつもり(自覚)はなくても、発話に「音に対する注意」が向いているときと同じ、(発話に「音に対する注意」が向いている意識/感覚が省略された形での)発話に聴覚を巻き込んだ脳の"かたち"だけが現れることがあるかもしれません。
その場合でも、「注意の転換」が起こり、口にしようとしている音から、思考活動など、口にしようとしている音(発話)とは別のことに注意の焦点(意識)がシフトし、口にしようとする音に対する注意が外れれば、言葉(思考活動)は自由になります。典型的な例は、「あの~」「えー」などのフィラーや、とっさに出てくる言い換えの言葉や別の言葉です。
言葉が詰まった状態から、言おうとして詰まっている同じ言葉(音)を口にするためには、いったん話そうとするのを完全にやめ※、別の思考や別の注意を間に挟むなどして、口にしようとする音(口から出る音)に対する注意が外れた状態(意識が切り替わった状態)を作ってやる必要があるかもしれません。
あるいは、間を恐れず、話そうとするのをいったん完全にやめて※、詰まった言葉を口にしようとすることから思考活動への自然な「注意の転換」(意識の切り替わり)を待つ(=話せる状態になってから話す)。
※話そうとする行為自体はやめていても、頭の中で、詰まっている音の出し方を考えていたり、詰まっている音への注目状態が続いていたり、言おう言おうとする気持ちが継続していたら、次の、発話以外のことに注意を逸らす過程や、(発話以外のことに注意を逸らす過程を挟まないケースでは)口にしようとする音から思考活動への注意の転換(意識の切り替わり)が、うまくいきません。いったん、意識を空白にします。
(もし、普段言葉が詰まって言えない秒数か、それに5秒、10秒余裕を与えた秒数、あらかじめ自分に時間を許し、最初から、この間のどこかで話し始め、言えればOK!的な、普段よりも少し気楽な姿勢になれるとしたら、なにか変わるところはあるでしょうか?)
2025年2月26日 ・3月23日
<言葉(思考)は干渉を嫌う>
音声化プロセスも内声化プロセスも、無意識の自動化されたものとは別に、(口から出るはずの音[言葉] / 意識に浮かぶはずの音[思考]に注意を向けて)自分の頭で意識してこれを行おうとすると、脳に違和感を伴いつつ、おかしなことになります。どちらも対処法は同じで、意識して行おうとしているそのプロセスから注意を外す(=注意を他にそらす)。
上に関連する4つの話。
日本吃音・流暢性障害学会 第8回大会 抄録集 24ページ
・成人の吃音中核症状の病因的考察と臨床への応用
日本吃音・流暢性障害学会 第7回大会 抄録集 54ページ、56ページ
・認知行動療法的な電話訓練
・認知行動療法を用いたグループ訓練
2025年3月15日・6月1日
<ご法度>
発話に聴覚(音に対する注意)を巻き込んで思考(=発話運動=言葉)が詰まった状態を嫌がらない、何とかしようとしない。
(詰まっている「音」を相手に発話を)何とかしようとすると、そこ※に意識(注意)がとどまります。詰まっている音への注意が外れ(注意が音から離れ)にくくなり(=詰まっている音を口にしようとすることから思考活動への注意の転換が起こりにくくなり)、話すこと(一時停止した思考活動の再スタート)の邪魔をします。
※「思考と体と言葉が詰まっている状態」を生んでいる、発話に聴覚を巻き込んだ状態。思考活動(言葉になる思考)が始まらないと、発話運動が始まらず口から言葉(音)は出てこないので、詰まっている「音」を相手に発話を何とかしようとすることでは目的は果たせません。
2025年6月2日
<昔教わったこと>
話し方(話すプロセス、どうやって話すのかその方法)について忘れなさい。そうすれば、話し方がみなさんを悩ませることはないでしょう。呼吸(自分が呼吸をしているという事実・呼吸のコントロール)について忘れなさい。そうすれば、呼吸がみなさんを悩ませることはないでしょう。呼吸は勝手に呼吸をするでしょう。肉体(発声器官その他の状態)について忘れなさい。そうすれば、肉体がみなさんを悩ませることはないでしょう。
2025年3月18日・29日
<結び>
途中、困難や苦労があって年月がかかっても、意識や過去からの習慣による、発話(音)をコントロールして話そうとする話し方から、自然に始まり自然に展開していく思考活動に発話を任せて話す話し方に、話し方を置き替えていくことも検討に値するかもしれません。